ある人が社内の特定の人たちのことを評した言葉で印象に残っているものがある。
「あの人たちは『自信がなくてプライドがある』んですよね」
どんな人たちかはともかくとして、この表現になるほどと思ったし、なかなか深いと感じて、以来ずっと頭の中にある。
どういうことか。その人の意図とは違うかもしれないが私なりに解釈してみると、「自信がなくてプライドがある」というのは、「自分たちは価値のあることをやっている、と思いたい。本当はあまりそうじゃないのかもしれないとうすうす感じているが、そうだと思い込むことを活動の推進力としている」状態。
ここでいう「自信」と「プライド」はどう違うのか、もう少し考えてみた。
- 自信は自分、プライドは自分たち(ひょっとしたら他者)
自信というのは、自分自身に価値・能力や可能性があると思えないと持てない。他力本願では発動しない。対してプライドは「すごいことをやっている集団の一員である」と思うことでも持つことができる。 - 自信は未来を含む、プライドは過去と現在
今だけではなくこれからも価値を生み出せる、能力を発揮できるという感覚がないと自信にはつながらないが、プライドは「すごいことをやった、だから今がある」という感覚によっても持つことができる。 - 自信は深いところから湧いてくる、プライドは浅いところからでも作れる
これは言葉にするのが難しいのだが、「根拠のない自信」という言葉があるように、自信というのは理屈が伴っていなくても持てる。そして心の深いところから湧いてくる感覚がある。それに比べてプライドの方は、何というか心の表面的なところでも発生する。
私の感覚はこんなところである。人によって違いはあるだろう。
「プライド」は「誇り」と訳されることが多いが、「誇りがある」と言うと「プライドがある」よりも自信ありそうに聞こえる。英語のprideという単語の本来の意味は別として、プライドと誇りは違うものだと感じる。
自分のやっていることには「プライド」よりも「自信」と「誇り」を持ちたいものである。